白馬観音堂

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神社参道の中腹に白馬観音堂(中院)があります。上の絵図は宝暦7年(1757)のもので、参道のなかほどに木立に囲まれて見られます。右図はそれを拡大したものです。 社は昭和20年の大雪で社は倒壊し、今は跡地しか残っていません。下左に写真をしめします。 木立の間に社があります。大きさは5間×5間です。 「女 志らへ これより奥は女人禁制」 と説明されています。江戸時代まで、松苧神社は女性の登山参拝はk禁制でした。女性が参拝する中院(観音堂)が僧泰山によって建てられました。

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上左は観音堂の写真です。右は観音堂の跡地です。跡地の中央に「白馬観音堂跡地」と書かれた標柱があります。かなり広い跡地で、今も礎石が残っております。また、手前」には土俵の跡も見てとれます。本尊は下の写真で、馬頭観音像(三面八臂)で、熊野権現を想起させる凄絶さをもっている。本体の像高は36,3cmで蓮華の台座には 「 応永10(1402) 8月24日 作之 作者 讃岐丸 大江ゑ門二郎 」 という墨書が見られます。造材は檜がもちいれれていrます。 作者及び大江某はどういう人物か不明で、上杉家との関係も不明です。 奈良県桜井市に真言宗豊山派本山の長谷寺があります。その寺の泰山とい僧がこの地を訪れ、 IMG_0418奥院の松苧権現が女人禁制であることを知り、女の人が参拝できるようこの中院を建てたと伝えられます。源平の騒乱で焼けた長谷寺の再建の資金集めの旅だったようです。創建は文治年間(1185~89)で、源義経のころです。5間四方の建物ですが、昭和20年の大雪で倒壊しました。戦争で若者がいなく、、雪おろしが出来ないためでした。 また、昭和16年ころまで境内で相撲大会がありました。柏崎、岡野町あたりも参加し、賑わったようです。

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