戊辰長岡 小千谷の戦い 当地を新政府軍が通過する


 松之山街道(妻有街道)を新政府軍が通過した。慶応4年(明治元)4月下旬より約1カ月、何千人の政府軍が通過、あるいは宿泊、集落内は混乱を極めた。

P1000315慶応4(明治元)4月下旬、當村を何千人おいう薩摩長州など新政府軍が通過し、あるいは宿泊しました。左の写真はその記録です。
「慶応四辰年 六月  犬伏村
官軍様
御通行 御継立て人馬賃銭余荷仮割當
松之山郷中 」
宿泊の割り当て、荷物を川西千手まで運ぶ人夫や馬の調達、それに要する費用のことなど庄屋を中心に村役人が相談した記録です。

時の庄屋 山本善平は、その様子を記録しました。
IMG_0319左の写真がその記録です。
[官軍諸藩様閏4月二一日より五月下旬まで當郷御通行に相成り・・・・・・中略・・・・・往古より見聞きも及ばざる御大軍勢様俄の御繰り出しにつきご継立て之儀は素より手慣れ申さず殊に他国とは格別山々谷越えの土地柄 且つは御用向き差し支えなきようと・・・・・」
村中混乱の様子と、その手はずに追われる様を書き記しています。
宿泊先を決めなければなりません。庄屋村役人は

相談し、次のようにきめました。宿帳の一部を示します。
P1000377   高田様御泊り
・拾壱人   辰右衛門   ・五拾人   林蔵寺
・拾壱    政吉      ・拾五人  庄右衛門
・五拾人  九左衛門   ・善平      弐拾人
・・・中略・・・4月21日を次のようにまとめています。
小計    513人  お宿料 金拾八三朱
銭三百七拾弐文

内   金拾料也    御受取
まとめると 5月下旬までに次のように宿泊、昼まかないなど行いました。
宿泊   13回    宿泊した人数   1113人
昼賄い   416人、となっています。
、明治4年の戸籍では 犬伏は現在とほぼ同じ 68戸ですから、その混乱した対応ぶりが想像されます。
この外に川西 千手まで荷物の運搬もありmしたから一層大変だったわけです。

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